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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)101号 判決 1997年12月25日

東京都品川区上大崎2丁目10番45号

原告

株式会社光電製作所

同代表者代表取締役

伊藤良昌

同訴訟代理人弁理士

櫻井俊彦

兵庫県西宮市芦原町9番52号

被告

古野電気株式会社

同代表者代表取締役

国友茂

同訴訟代理人弁理士

小森久夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成4年審判第4205号事件について平成8年3月27日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

被告は、名称を「航跡記録装置」とする特許第1628234号(昭和54年6月21日出願、昭和62年6月27日出願公告、平成3年12月20日設定登録。以下「本件特許」といい、その発明を「本件発明」という。)の特許権者である。

原告は、平成4年3月15日本件特許を無効とすることについて審判を請求し、特許庁は、この請求を平成4年審判第4205号事件として審理した結果、平成8年3月27日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、平成8年5月13日原告に送達された。

2  本件特許請求の範囲第1項の記載

航行位置を測定する航法装置の測定結果に基いて、航行位置を航跡データーとして蓄積記憶する蓄積記憶回路と、表示器と、

該表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部を有し、上記蓄積記憶回路に記憶されている航跡データーを該表示器の表示画面上の表示位置となる記憶部に記憶する表示用記憶回路と、

画面移動スイッチおよび画面の縮小、拡大スイッチを含み、上記表示用記憶回路に記憶されているデーターを任意の方向へ移動させる等表示用記憶回路の記憶状態を変えることによって上記表示器での表示状態を所望の状態に設定することを指示する操作スイッチ入力部と、

上記表示画面上に表示される現在位置の座標値と上記表示画面上の表示限界位置に相当する座標値とを比較して、現在位置の座標値が表示限界位置に達したとき、もくしは、表示限界位置を越えたとき、現在位置の座標値を上記表示画面内の座標値に置き換えて、該置き換えた座標値に対応する表示用記憶回路の記憶番地に現在位置を記憶させる演算回路とからなる航跡記録装置。

3  審決の理由

審決の理由は、別添審決書写し(以下「審決書」という。)記載のとおりである。

4  審決の理由の認否

(1)  審決書2頁2行ないし3頁11行(本件発明の要旨等)は認める。

(2)  同3頁12行ないし5頁10行(請求人の主張内容)は認める。

(3)  同5頁11行ないし6頁7行(表示器についての判断)は争う。

同6頁8行から13頁15行まで(表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部についての判断)のうち、6頁11行ないし7頁11行、7頁17行ないし8頁8行及び10頁2行ないし11頁5行は認め、その余は争う。

(4)  同13頁16行ないし14頁4行(まとめ)は争う。

5  審決を取り消すべき事由

(1)  取消事由1(特許法153条違反)

審決は、「表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部」に関し、特許法36条3項、4項違反(昭和62年法律第27号による改正前のもの。以下、同じ。)がないことの理由として、

(a) 本件特許明細書(甲第2号証3欄19行ないし35行)の記載(審決書6頁11行ないし7頁11行)、

(b) 「研究社 新英和大辞典、第4版第58刷」(以下「本件新英和大辞典」という。)の記載(審決書8頁19行ないし9頁3行)、

(c) 尚学図書編集「国語大辞典、第1版第6刷」(株式会社小学館発行、昭和57年2月10日)(以下「本件国語大辞典」という。)及び本件新英和大辞典の記載(審決書11頁6行ないし12頁11行)

を引用しているが(審決書6頁11行ないし7頁11行)、これらの「理由」について原告に意見を述べる機会を与えていない審判手続には、特許法153条2項に違反する違法がある。

(2)  取消事由2(出願日後の証拠による解釈の違法)

審決は、上記(1)(b)及び(c)のとおり、本件国語大辞典及び本件新英和大辞典による本件特許明細書の解釈を行っているが、本件国語大辞典の発行日は、本件特許の出願日から約3年も後に発行されたものであり、本件新英和大辞典については、その第1刷の発行日すら明らかにせず、使用している。

特許法29条によれば、発明の公知性や周知性の判断は、その特許出願前において公知又は周知であったか否かによって判断されなければならない。「審査便覧」(昭和46年2月特許庁制定)「42.31A 特許出願の拒絶の理由中に引用する刊行物の記載要領」の4頁「5.単行本」の項(甲第16号証)にも、発行年月日、ページを記載すべきことが明確に記載されている。したがって、明細書に記載された語句の解釈も、その特許出願前において公知又は周知であったか否かによって判断されなければならないことは当然である。

したがって、審決が上記2つの文献により本件特許明細書の解釈を行ったことは、違法である。

(3)  取消事由3(表示器についての特許法36条3項、4項違反)

審決は、「表示器」の点について、「叙上の本件特許明細書の特許請求の範囲第1項の記載からみて、この特許請求の範囲に記載された表示器は、現在位置を含む航跡を表示画面上に表示するものと定められていると認められる。そして、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、その発明の詳細な説明には、表示器として航跡記録の現在位置を表示画面上に表示するブラウン管表示器が例示されていると認められる。そうすると、本件特許構成要件における「表示器」が如何なるものか定かで無い旨の表示器に関する本件請求人の上記主張は採用することができない。」(審決書5頁13行ないし6頁7行)と判断するが、誤りであり、表示器についての本件特許明細書及び図面の記載は、特許法36条3項、4項に違反する。

<1> 本件特許請求の範囲第1項には、単に「表示器」と記載されているから、「表示器」は、ラスタ走査のブラウン管表示器だけでなく、スパイラル走査やPPI走査等の多数の表示器を含むものである。

<2> したがって、本件特許明細書の実施例においても、ラスタ走査のブラウン管表示器以外の表示器、例えば、スパイラル走査やPPI走査等の他の表示器についても当業者が容易に実施をなし得る程度に説明をしなければ、当業者はスパイラル走査やPPI走査等の多数の表示器を含む構成については容易に実施し得ないことになり、本件特許明細書及び図面の記載は、特許法36条3項、4項に違反するものである。

(4)  取消事由4(記憶部についての特許法36条3項、4項違反)

審決は、「本件特許明細書の発明の詳細な説明には、表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係が、当業者が容易に実施することができる程度に記載されていると言うことができる。」(審決書7頁12行ないし16行)、「この「幾何的に対応する」は、表示用記憶回路はブラウン管表示器上に表示される画素数と同数の記憶素子からなる記憶容量を有し、この表示用記憶回路の各記憶素子とブラウン管表示器の各画素とが相互に対応した位置関係にあることを表現したものであると解することができる。」(同8頁12行ないし18行)、「表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部」に関して、本件特許明細書および図面にはこのような技術事項の具体構成が本件特許に係る発明の属する技術分野における通常の知識を有するものが容易にその実施をすることができる程度に記載されているものとして認めることができない旨の本件請求人の上記主張」等は採用できない(同9頁11行ないし10頁1行)と判断するが、誤りであり、記憶部についての本件特許明細書及び図面の記載は、特許法36条3項、4項に違反する。

<1> 審決は、「幾何」及び「幾何的」に関する理由付けとして、日本語を英訳した後に再び日本語に戻すという方法(審決書8頁19行ないし9頁10行、11頁19行ないし12頁11行)を採った結果、「幾何」及び「幾何的」の意味について誤った認定を行ったものである。すなわち、日本語と英語とは、カタカタ語を除いては、その語源自体が異なるものであるから、日本語の語句が意味する語義と、英語の語句が意味する語義では、全く性質を異にすることは、否み得ない事実である。例えば、「作家」は、「author」と英訳され、「author」には「発明者」という語義があるので、日本語を英訳した後に再び日本語に戻すという解釈を行うと、「作家」の語句は「発明者」の語義を有することになってしまう。本件においても、審決書11頁19行ないし12頁11行の記載では、「幾何学」のほかに「(機械装置などの)形状寸法」や「等比、幾何比」という訳による語句を導き出しているが、これらの訳による語句は、広辞苑(乙第1号証)における「幾何学」の説明においてすら全く見当たらない語句であり、日本語の「幾何的に対応する」という語句とは全く無関係な語句である。

<2> そして、本件特許請求の範囲第1項には、「該表示器の表示画面上の表示位置に幾何的に対応する記憶部を有し、上記蓄積記憶回路に記憶されている航跡データーを該表示器の表示画面上の表示位置となる記憶部に記憶する表示用記憶回路と、」と記載しているにすぎないから、「幾何的に対応する」という技術事項は、単に「相似した配置状態」で対応するだけの構成から、「立体幾何の空間座標」で対応するものと、「面積でみて対応する」ものとを含む構成を含むものであるから、本件特許明細書における実施例においても、「立体幾何の空間座標」で対応する構成と「面積でみて対応する」構成との場合についても、当業者がその実施を容易になし得る程度に説明をしなければ、当業者は「立体幾何の空間座標」で対応するものと「面積でみて対応する」ものとを含む構成について容易に実施し得ないものである。

したがって、このような本件特許明細書及び図面の記載は、特許法36条3項、4項に違反するものである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認め、同5は争う。審決の認定、判断は正当であり、手続も正当であるから、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  取消事由1について

原告の指摘している事項は、いずれも審判請求理由を審理・判断する過程の1つであり、審決は審判請求理由の範囲内において行われたことは明らかである。

(2)  取消事由2について

原告は、本件特許出願後の文献である本件国語大辞典を審決が使用したことは違法である旨主張するが、「幾何」、「幾何的」の意味は、本件特許出願の前と後において変わるものではない。例えば、本件特許出願前の文献である広辞苑(第2版 昭和44年5月16日第1刷発行。乙第1号証)によっても、「幾何」の説明欄に審決と同様な説明が記されている。

本件新英和大辞典(第4版)の発行日は、昭和35年である(乙第2号証)。版数が同じであれば、刷数に関係なく内容は同一である。

(3)  取消事由3について

原告が述べるようなスパイラル走査やPPI走査等の多数の表示器のすべてを実施例として説明しなければ特許法36条3項、4項違反になるというものではない。本件特許明細書では、「表示器」の実施例としてラスタ走査のブラウン管表示器を示しているのであるから、それ以外の多数の表示器までをすべて実施例として説明しなければならない必然性はない。

(4)  取消事由4について

<1> 原告は、英訳した後に日本語に戻す点を問題とするが、「幾何学」を英訳した後(geometric)に日本語に戻した操作に意味的変更が伴っていないことは明らかであるから、この点の原告の主張は理由がない。

<2> 本件特許明細書には、相似した配置状態の構成を最良の実施例として示しているから、それ以外の実施例を示さなければ、特許法36条3項、4項に違反するということにはならない。

第4  証拠関係

本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本件特許請求の範囲第1項の記載)及び同3(審決の理由)については、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の取消事由の当否について検討する。

(1)  取消事由1について

原告は、審決は「表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部」に関し、特許法36条4項等違反がないことの理由として、(a) 本件特許明細書(甲第2号証3欄19行ないし35行)の記載(審決書6頁11行ないし7頁11行)、(b) 本件新英和大辞典の記載(審決書8頁19行ないし9頁3行)、(c) 本件国語大辞典及び本件新英和大辞典の記載(審決書11頁6行ないし12頁11行)を引用しているが、これらの「理由」について原告に意見を述べる機会を与えていない審判手続には、特許法153条2項に違反する違法がある旨主張する。

しかしながら、「前記表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部を有し、」について特許法36条3項、4項違反があるとの申立てが特許法153条2項にいう「理由」に当たるものであり、上記「理由」の判断に当たって理由付けとして使用された上記(a)ないし(c)は上記「理由」には当たらないから、上記(a)ないし(c)につき意見を述べる機会の付与等を規定する特許法153条2項の適用はないといわなければならない。

したがって、原告主張の取消事由1は、理由がない。

(2)  取消事由2について

<1>  原告は、審決が本件特許の出願日の約3年後に発行された本件国語大辞典により本件特許明細書の解釈を行うことは違法である旨主張する。

しかしながら、明細書中の語句が出願日当時に有する意味を判断するために、出願日後に発行された辞典類を利用することは、出願日後に当該語句の意味が変遷した等の事情が認められない限り、許されると解されるところ、乙第3号証によれば、本件国語大辞典は本件特許出願日の約2年半後に発行されたものであることが認められるが、その間に「幾何」等の意味が変遷した等の事情は認められないから(乙第1号証によれば、本件特許出願日前の昭和44年5月16日に第2版が発行された広辞苑においても、「幾何」について上記国語大辞典におけると同様の意味が記載されていることが認められる。)、この点の原告の主張は理由がない。

<2>  原告は、本件新英和大辞典により本件特許明細書の解釈を行うことは違法である旨主張するが、乙第2号証によれば、本件新英和大辞典(第4版)の発行日は昭和35年であり、本件新英和大辞典は本件発明の出願日の前に発行されたものであることが認められるから、この点の原告の主張は、理由がない。

<3>  したがって、原告主張の取消事由2は理由がない。

(3)  取消事由3について

本件特許請求の範囲第1項の記載から見て、この特許請求の範囲に記載された表示器は、現在位置を含む航跡を表示画面上に表示するものと定められていると認められる。

そして、甲第2号証によれば、本件特許明細書には、「第1図において、1はブラウン管表示器で、その表示画面上に航跡2、緯度線3、経度線4、カーソル線5、6、イベントマーク7、緯度、経度表示数値8、9等が表示される。」(3欄2行ないし5行)と記載されていることが認められる。

原告は、本件特許請求の範囲第1項には、単に「表示器」と記載されているから、「表示器」は、ラスタ走査のブラウン管表示器だけでなく、スパイラル走査やPPI走査等の多数の表示器を含むものであり、したがって、本件特許明細書における実施例においても、ラスタ走査のブラウン管表示器以外の表示器、例えば、スパイラル走査やPPI走査等の他の表示器についても、当業者が容易に実施をなし得る程度に説明をしなければ、当業者はスパイラル走査やPPI走査等の多数の表示器を含む構成について容易に実施し得ないことになり、本件特許明細書及び図面の記載は特許法36条3項、4項に違反する旨主張する。

しかしながら、特許法36条3項、4項は、考え得るあらゆる形態のものを明細書に実施例として記載すべきことを要求しているものではないから、スパイラル走査やPPI走査等の他の表示器についての説明や実施例の記載がないことをもって、特許法36条3項、4項に違反すると解することはできない。

そうすると、表示器について特許法36条3項、4項違反はないとの審決の判断に誤りはなく、原告主張の取消事由3は理由がない。

(4)  取消事由4について

<1>  「本件特許請求の範囲第1項における「表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部」なる文言は、その文章からみて、表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係を表したものであることは明らかである。「幾何的に対応する」なる文言は、本件特許明細書においてその意味を定義して使用していないものであるけれども、上述のことからして、表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係を表現した用語であると言うことはできる」(審決書7頁17行ないし8頁8行)ことは、当事者間に争いがない。そして、審決書6頁11行ないし7頁11行(本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載)は、当事者間に争いがない。この発明の詳細な説明の記載によれば、本件特許請求の範囲第1項中の「幾何的に対応する」とは、表示用記憶回路はブラウン管表示器上に表示される画素数と同数の記憶素子からなる記憶容量を有し、この表示用記憶回路の各記憶素子とブラウン管表示器の各画素とが相互に対応した位置関係にあることを意味しているものと認められ、かつ、本件特許明細書の発明の詳細な説明には、表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係が当業者が容易に実施することができる程度に記載されていると認められる。

<2>  原告は、審決は「幾何」及び「幾何的」に関する理由付けとして日本語を英訳した後に再び日本語に戻すという方法(審決書8頁19行ないし9頁10行、11頁19行ないし12頁11行)を採った結果、「幾何」及び「幾何的」の意味について誤った認定を行った旨主張するが、審決書中の原告主張の上記箇所は、単に「幾何的」が原告主張の「幾何学上の学理に対応する」という意味に限定して解釈されるものではないことの裏付けとして本件新英和大辞典等の記載についても触れているにすぎず、仮にその点に誤りがあったとしてもその誤りは上記<1>の認定判断を左右するものではない上に、原告主張の日本語を英訳した後に再び日本語に戻すという方法を採用したことにより誤った認定を行ったと認めることもできないから、この点の原告の主張は採用できない。

<3>  次に、原告は、本件特許請求の範囲第1項の「幾何的に対応する」という技術事項は、単に「相似した配置状態」で対応する構成だけでなく、「立体幾何の空間座標」で対応するものや「面積でみて対応する」ものをも含むものであるから、「立体幾何の空間座標」で対応する構成と「面積でみて対応する」構成との場合についても当業者がその実施を容易になし得る程度に説明をしていない本件特許明細書及び図面の記載は、特許法36条3項、4項に違反する旨主張する。

しかしながら、特許法36条3項、4項は、考え得るあらゆる形態のものにつき説明すべきことを要求しているものではないから、「立体幾何の空間座標」で対応するものや「面積でみて対応する」ものについての説明や実施例の記載がないことをもって、特許法36条3項、4項に違反すると解することはできない。

<4>  そうすると、記憶部についての特許法36条3項、4項違反はないとの審決の判断に誤りはなく、原告主張の取消事由4は理由がない。

(5)  他に、審決を違法とすべき理由は見いだせない。

したがって、原告の本訴請求は理由がない。

3  よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

平成4年審判第4205号

審決

東京都品川区上大崎2丁目10番45号

請求人 株式会社光電製作所

西宮市芦原町9番52号

被請求人 古野電気 株式会社

大阪府大阪市中央区谷町2丁目3番8号 ピジョンビル6F 小森特許事務所

代理人弁理士 小森久夫

上記当事者間の特許第1628234号発明「航跡記録装置」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

審判費用は、請求人の負担とする。

理由

本件特許第1628234号発明(以下、本件発明という。)は、昭和54年6月21日に出願され、昭和62年6月27日に出願公告(特公昭62-29722号公報参照)された後、平成3年12月20日にその特許の設定の登録がなされたものであって、その発明の要旨は、明細書及び図面(以下、特許の設定の登録がなされた明細書及び図面を、特許明細書及び図面という。)の記載からみて、その特許請求の範囲第1項に記載された次の通りのものにあるものと認める。

「航行位置を測定する航法装置の測定結果に基いて、航行位置を航跡データーとして蓄積記憶する蓄積記憶回路と、表示器と、該表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部を有し、上記蓄積記憶回路に記憶されている航跡データーを該表示器の表示画面上の表示位置となる記憶部に記憶する表示用記憶回路と、画面移動スイッチおよび画面の縮小、拡大スイッチを含み、上記表示用記憶回路に記憶されているデーターを任意の方向へ移動させる等表示用記憶回路の記憶状態を変えることによって上記表示器での表示状態を所望の状態に設定することを指示する操作スイッチ入力部と、上記表示画面上に表示される現在位置の座標値と上記表示画面上の表示限界位置に相当する座標値とを比較して、現在位置の座標値が表示限界位置に達したとき、もしくは、表示限界位置を越えたとき、現在位置の座標値を上記表示画面内の座標値に置き換えて、該置き換えた座標値に対応する表示用記憶回路の記憶番地に現在位置を記憶させる演算回路とからなる航跡記録装置。

これに対して、本件請求人は、「特許第1628234号の特許は無効とする。」との審決を求め、その理由の要点として次の通り主張している。

即ち、平成4年8月20日付け無効審判請求理由補充書において、「本件特許構成要件におけるC項の技術事項において、『前記表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部を有し、』と構成条件の限定を行っているが、ここにいう『幾何的に対応する』とは、具体的に如何なる構成を指すものであろうか?。まず、『前記表示器の表示画面上の各表示位置に』と前提しているが、『前記表示器』とは上記の本件特許構成要件におけるB項の技術事項において、単に『表示器』と限定しているのみであり、如何なるものか定かで無い。また、出願当初の明細書および図面(甲第1号証)には、ここにいう『幾何的に対応する記憶部』なる技術事項の説明は何ら記載されておらず、また、このような技術事項の具体構成は、本件特許に係る発明の属する技術の分野における通常の知識を有するものが容易にその実施をすることができる程度に記載されているものとして認めることができないものである。したがって、本件特許は実施不能の技術事項までを構成要件としているものであり、明らかに、特許法第36条第3項・第4項に規定する要件を満たしていないものであるから、第123条第1項第3号の規定によって、当然、無効されて然るべきものである。」(第2頁第12行~第3頁第17行)と主張している。

ここで、上記の理由の要点の中に記載している「B項の技術事項」および「C項の技術事項」とは、上記無効審判請求理由補充書の記載によれば、それぞれ、「表示器」および「該表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部を有し、上記蓄積記憶回路に記憶されている航跡データーを該表示器の表示画面上の表示位置となる記憶部に記憶する表示用記憶回路」のことである。

そこで、先ず、「表示器」に関する本件請求人の主張について検討する。

叙上の本件特許明細書の特許請求の範囲第1項の記載からみて、この特許請求の範囲に記載された表示器は、現在位置を含む航跡を表示画面上に表示するものと定められていると認められる。

そして、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載からみて、その発明の詳細な説明には、表示器として航跡記録の現在位置を表示画面上に表示するブラウン管表示器が例示されていると認められる。

そうすると、本件特許構成要件における「表示器」が如何なるものか定かで無い旨の表示器に関する本件請求人の上記主張は採用することができない。

続いて、「表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部」に関する本件請求人の主張について検討する。

本件特許明細書の発明の詳細な説明には、「ブラウン管表示器1における電子ビームの走査位置は水平走査カウンタ11と垂直走査カウンタ12の計数値によって決定される。水平走査カウンタ11と垂直走査カウンタ12のそれぞれの計数値は表示用記憶回路14へ送出されて、計数値に対応する記憶素子の記憶内容が読み出される。表示用記憶回路14は、ブラウン管表示器1上に表示される画素数と同数の記憶容量を有し、ブラウン管表示器1の走査位置に対応する記憶素子の記憶内容が水平走査カウンタ11、垂直走査カウンタ12の計数値によって読み出される。そして、読み出された記憶出力はシフトレジスタ15へ送出される。シフトレジスタ15はクロックパルス源13のクロックパルス列によって、順次読出される記憶信号を時系列化してブラウン管表示器1の輝度端子へ送出する。」(第4頁第20行~第5頁第16行(公告公報第2頁左欄第19~35行参照))ことの記載が認められる。

そして、この記載によれば、本件特許明細書の発明の詳細な説明には、表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係が、当業者が容易に実施することができる程度に記載されていると言うことができる。

一方、本件特許明細書の特許請求の範囲第1項における「表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部」なる文言は、その文章自体からみて、表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係を表したものであることは明かである。

「幾何的に対応する」なる文言は、本件特許明細書においてその意味を定義して使用していないものであるけれども、上述のことからして、表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係を表現した用語であると言うことはできる。

そこで、叙上の本件特許明細書の発明の詳細な説明における、表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係に関する記載をみてみると、この「幾何的に対応する」は、表示用記憶回路はブラウン管表示器上に表示される画素数と同数の記憶素子からなる記憶容量を有し、この表示用記憶回路の各記憶素子とブラウン管表示器の各画素とが相互に対応した位置関係にあることを表現したものであると解することができる。

そして、「幾何学」及びその略語である「幾何」の原語にあたる「geometry」、その形容詞である「geometric,-rical」、及び、それらの使用例についての「研究社 新英和大辞典、第4版第58刷」における日本語訳等を参酌してみると、叙上の本件特許明細書の発明の詳細な説明に記載された表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係を表現する文言として、本件特許明細書の特許請求の範囲第1項の記載において、「幾何的に対応する」なる文言を用いることは全く容認できないことであるとすることはできない。

そうすると、「表示器の表示画面上の各表示位置に幾何的に対応する記憶部」に関して、本件特許明細書および図面にはこのような技術事項の具体構成が本件特許に係る発明の属する技術の分野における通常の知識を有するものが容易にその実施をすることができる程度に記載されているものとして認めることができない旨の本件請求人の上記主張、および、本件特許は実施不能の技術事項までを構成要件としているものである旨の本件請求人の上記主張は、いずれも採用することができない。

ところで、本件請求人は、平成6年6月20日付け無効審判弁駁書において、「『幾何的に対応する』との限定内容に対して考察すると、まず、『幾何的』という語句については、辞書、字典類には、全く見当たらないが、『幾何学』『幾何学的』という語句が辞書にあるので、最も近い語句としては、『幾何学的』という語句を簡略的して『幾何的』と記載したものとみるのが至当であり、そして、『……対応する』という語句を含むことからして、常識的には、『幾何学上の学理に対応する』という意味に解釈することができる。」(第2頁第21行~第3頁第4行)と述べて、「『幾何的に対応する記憶部』とは『幾何学上の学理に対応する記憶部』でなければならず、そのような記憶部を具体的にどのようにして実施するのかについては、本件特許の特許公報には何らの記載も無いので、本件特許に係る発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者といえども、本件特許の請求の範囲に記載された『幾何的に対応する記憶部』を、到底、実施し得るものではない。」(第4頁第19行~第5頁第2行)と主張しているので、この無効審判弁駁書における本件請求人の主張について、以下、検討する。

尚学図書編集「国語大辞典、第1版第6刷」(株式会社小学館発行、昭和57年2月10日)によれば、「きか【幾何】」の項目には、「きかがく(幾何学)」の略であることが記載されており、「きかがく【幾何学】」の項目には、その用例として「幾何学的模様」なる用語が紹介されており、幾何学的模様とは「直線、あるいは曲線を基本に構成した抽象的模様。幾何模様。」と解説されている。この記載によれば、「幾何学的」という文言は、必ずしも、本件請求人が言う「幾何学上の学理」の意味合いで用いられるとは限らないものであると言うことができるところ、同「国語大辞典、第1版第6刷」の「きかがく【幾何学】」の項目には、更に、「『幾何』は英geometryの漢訳から」の記載が見当たるので、「研究社 新英和大辞典、第4版第58刷」の「geometry」の項目を見てみると、そこには、「幾何学」の訳の外に「(機械装置などの)形状寸法」という訳も併せて記載されており、更に、「geometry」の形容詞にあたる「geometric,-rical」の項目を見てみると、そこには、「幾何学的な」という訳や、「a~pattern(定規とコンパスで描いたような幾何学的模様」の用例も記載されているし、また、「geometric(al)ratio」の項目には「等比、幾何比」という訳の記載も見当たる。

そうすると、「幾何的に対応する」は「幾何学上の学理に対応する」という意味に限られて解釈されるものであるとは言えない。

そして、本件特許明細書の発明の詳細な説明における表示器の表示画面上の表示位置と表示用記憶回路の記憶部との対応関係に関する記載をみてみると、本件特許明細書の特許請求の範囲第1項に記載された「幾何的に対応する」は、先に述べた通りに解されるのである。

してみると、「幾何的に対応する記憶部」とは「幾何学上の学理に対応する記憶部」のことであるとして為された無効審判弁駁書における本件請求人の上記主張は採用することができない。

更に、本件請求人の提出した上記無効審判請求理由補充書には、甲第1号証(出願当初の明細書および図面)を証拠方法として提出し、出願当初の明細書および図面には「幾何的に対応する記憶部」なる技術事項の説明は何ら記載されていない旨主張した部分が見当たるけれども、特許無効事由の存否の判断の対象となる明細書および図面は特許明細書および図面であるから、本件の場合、出願当初の明細書および図面に「幾何的に対応する記憶部」の説明が為されていたか否かは検討するまでもないことである。

したがって、本件特許明細書及び図面の記載は特許法第36条第3項および第4項に規定する要件を満たしていないものであると言うことはできない。

以上の通りであるから、本件請求人の主張する理由及び証拠方法によっては、本件特許を無効とすることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成8年3月27日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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